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髪のない母を 子どもはどう思う?

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12歳ですべての髪をなくしました。脱毛症です。今は「髪のない私にありがとう!」とご機嫌に暮らしています。多様性が当たり前になる社会に向けて活動中。 ■好き:おにぎり、風、星空、家族 ■モットー:自分を生きる、自分を楽しむ♪ ■著書「ここからの一歩」~母さん、髪がなくても大好きだよ~

どんな不安がありますか?

脱毛症の お母さんや お父さん、

これから 結婚や 子どもを持つことを 考えている方、

子どもに 髪のことを どう話せばいいのだろう?

髪のない親を どう思うのだろう?

お友達や 周りの人に 何か言われて、嫌な思いをさせるのでは?

自分と同じように、脱毛症だったら?

……

そのような不安をもつ方も おられると思います。

 

私が 長女を産んだのは、結婚から5年目、30歳の時でした。

その頃も 当たり前に、素の頭で社会生活を 送っていた私です。

待ち望んだ妊娠だったので、わが子に会えるのが 楽しみすぎて、

髪が生えてくるだろうか? 子どもは 自分のことを どう思うか?

な~んて不安は ほとんど ありませんでした。

無事に 生まれてくれさえすればいいと 願いながらも、

初めて対面した我が子に 柔らかいフワフワの髪が 生えていたのを見て、

やっぱり ホッとしました。

次女、3女も同じく、今のところ 髪に これと言ったトラブルは ありません。

 

娘たちが、髪のない母と どう向き合ってきたのか?

今でこそ、髪のない母が自慢の 子ども達。

特に、次女、3女は、

「母さん、髪ない方が可愛い♡」「絶対、そのままがいい」「若く見える!」と、べた褒めです。

学校の工作では、ツルツル頭の私が 作品になっていたりもします。

勿論、「ウィッグつけてほしい」なんて 言われたことは 一度もありません。

 

でも、娘一人一人 それなりに 色々ありました。

お友達から なんやかんや言われることが多かったのは、保育園時代ですね。

小学生以降は、ほとんど私の耳に 入ってきていませんが、

娘たちには、私が気づかないこと、私に言わなかった思いも あったかもしれません。

 

長女は、私の隣を並んで歩き、私に向けられる視線や言葉に 一緒に傷つき、

恥ずかしさを 感じていた時期も あったようです。

保育園の親子遠足では、ほとんどの親子が 手をつないで歩く中、

私からどんどん離れてく娘。私は 娘の気持ちを察し、

それでも 娘の姿を見失わないようにと ずっと目で追い 見守っていました。

 

露骨に「○○ちゃんのお母さん、ハゲ!」と言ってくる子が いた時は、

保育園の先生方も、しっかり 子ども達に向けて 対応してくださいました。

徐々に「ハゲ!」とか言ってくる子は なくなり、

お泊りし合うような 仲の良い友達ができたり、毎日 楽しそうに 通園していました。

 

保育園で 毎年描く「大好きな人」の絵には、いつも お父さんを描いていた長女でしたが、

卒園間際に描いた「家族の絵」には、初めて 髪のない私 がいました。

「お母さんは大好き、でも恥ずかしい……」 そんな気持ちに 揺れながらも、

成長してくれた長女。じわ~っと 嬉しさがこみ上げたのを 覚えています。

 

小学校は、入学前に引っ越したので、

地域、お友達、他のご家庭との人間関係も 一からのスタート。

私はこれまで通り、素の頭で 入学式から 学校行事まで 参加していました。

長女が 小学校3年生の 参観日前、

「母さんの髪ないのが 恥しいから、来なくていいよ。」と、言いました。

でも結局「この服だったらいい」という 娘のおすすめコーデを着て、

私は 学校に行きました。

 

その半年後、私が PTA執行部役員を 受けるか迷ったとき、

「母さん、やって!」と、強く推してきたのは、長女でした。

私は驚きながら「役員になると、学校に行くこと増えるし、広報誌に写真のったりするよ。」

と言うと、長女は

「いいがん、母さん 有名になるがん!」と。

この長女の言葉、気持ちが決め手となり、私は役員を受け、人権をはじめとする

様々な活動に 娘たちと一緒に 参加していきました。

今、私の周りにいる かけがえのない仲間も そのPTAからの出会いです。

そのおかげで、私自身、娘たちも たくさんの方に育てられ、

経験や世界が 豊かに広がったことは いうまでもありません。

そんな繋がりから、娘の友達も、学校やスーパーなどで 私を見つけると、

「○○ちゃんのお母さ~ん!」と言って、手を振ってくれます。

 

オシャレや見た目を 更に気にする年頃になり、はや高校3年生になった 長女。

今はどう思っているのかなぁ? 特に 言葉にする長女ではありませんが、

きっと……

自分が 母さんのことを どう思おうが、

母さん、笑ってるし、友だちいっぱいいるし、あの頭で 児童館や保育園で 働いて、

お店とかでも 子どもたちが、「ほそだせんせ~」って声かけてくるし、

周りから「○○ちゃんのお母さん、素敵だね! おしゃれだね!」

って 言ってもらえたりもするし、

ついには、本まで出版するし……

あれ~、自分が気にしていたのは 何だったんだろう?

とでも思っているでしょうか。

 

長女にとって、

「恥ずかしい」と思っていたお母さんは、少しずつ

「恥ずかしい お母さん」では なくなっていった ような気がします。

だから今は、一緒に服を買いに行ったり、

インスタにあげる写真を 撮ってくれたりする 長女です。

 

私が 社会生活を送ってきた環境、

自分や 娘たちに 温かい言葉をかけてくださった 皆さんに

心から感謝です。

 

うちの子も よその子も、大事な 社会の子

地域の子は、もう私のことを 見慣れていますが、

大きな公園とかで よその子に笑われたり、指を差され 何か言われることはあります。

次女や3女は、そんな子達を 一生けん命 睨んだり、

「ひどいへん! あの子たち。」と怒ったりします。(私のために けなげで可愛い)

 

そんな時、私は娘たちに こう言います。

「ありがとう。でもやっぱり、珍しいんだろうね。まぁ、見たい人は 見ればいいよ。

母さんを見て こんな人がいるんだなって 知ってくれたらいいし、

学んで 大きな心に 成長してくれたらいいよ。」って。

それを聞いた娘は、

「そっか、あの子たち まだ小皿だもんな。」

器が小さいと 言いたかったようだ……

(優しいけど、たま~に毒舌になる娘に、そうだねとも言えず 苦笑い。)

 

また、娘たちが こんな会話をしていたことが あります。

「誰かを見て、勝手に 可哀そうとか 言っちゃいけんよな。

その人が 自分のこと好きだったら 可哀そうなんて言ったら 失礼だし。

母さんだって 全然 可哀そうじゃない。

母さん 幸せに暮らしてるのに、可哀そうとか言われたら 絶対やだ!」と。

 

うちの子も、社会の子も  きっと学んでくれています。

 

娘たちの思い

昨年、3女の 3年生の授業で「ビブリオバトル」というのが ありました。

自分の好きな本を 紹介し合うもので、

本のあらすじ、おすすめの場面、どんな人に読んでほしいか…など、発表するのです。

 

3女は、私の著書「ここからの一歩」を紹介してくれました。

おすすめの一文として選んだのが、サブタイトルの

~母さん、髪がなくても大好きだよ~

その理由は?…… 3女が書いた言葉は、

「人から色々言われて 傷ついたお母さんを、娘たちが励ます言葉に じーんとくるから。」

でした。

 

それを聞いて…

私  「なるほど~、ありがとう。でも母さん、傷ついてはないけどね。」

3女   「あ、そっか……」

次女 「別に私、励ますつもりで言ってないよ。本当に思ってるから 言ってるだけ。」

3女   「あ、そっか。そうだな……」

結局、おすすめの理由は、

「娘たちの、髪がないお母さんを 大好きな気持ちが 伝わってくるから。」

と書き直していました。

本当に、ありのままの母を 好きでいてくれてるんだなって、

これまで 言ってくれた言葉も、本当の気持ちだったんだなって、

私は 素直に喜びました。

 

そして、こんなことも言ってくれています。

 「母さんの髪がなくなったおかげで、鳥取に来て 父さんと出会って 自分たちが生まれた。

  母さんに髪があったら、私たちは 生まれてこれなかった。

  だから今 自分たちが 幸せに生きているのは、髪のない 母さんのおかげ。

 

子どもたちに 願うこと

子どもたちに 願うことは、ただただ「幸せに生きてほしい」ということ。

命あること、当たり前の日常に 感謝し、自分らしく 楽しんで 生きてほしい。

様々な人がいて、様々な人生があって、多様性が当たり前の社会で。

 

これから、

子ども自身にも 想像しないことが起こったり、逆境に立たされることが あるでしょう。

そんな中でも、自分の人生を受け入れ、いい出会いをし、ささやかな日常を味わったり、

時には ドラマティックな出来事に 心を 大きく揺さぶりながら、

豊かな人生を 送ってほしい。

 

親や 家族である 私たちが、

ありのままの自分で 共に生きること。

それが、子ども達の 人生を生き抜くための強さ、優しさ、しなやかさを

育んでいくのでは ないでしょうか?

 

私は、髪をなくす他に、大きな病気をしたことは ありません、

でも、家族との関係、金銭的な苦労、親しい友人にすら話していない 深い悲しみ、

頑張っても 頑張っても どうにならず、一人涙することは ありました。

それが人生、どの感情も 魂にとって 大事なものと じっくり味わってきました。

 

そんな経験、自分に起きることの すべてが、幸せや 豊かさに繋がっている信じ、

ただ自分のままに 日々を生き、その姿を 子ども達に 見せています。

 

生き様

あなたの生き方は、子どもや 家族に どう映っているでしょう?

あなたが どう生きるか? その生き様を 見て感じています。

そして、髪のことや その特徴以外に どんな世界を もっているのか?

あなただけの輝きを 喜んだり、

ただ そこにいてくれることの 愛おしさを きっと感じているはず。

 

私は、スキンヘッドの自分が 大好きな状態で 子どもを産み 育てていますが、

悩み苦しみの中で、子育てしたり 将来を考えている方も おられるでしょう。

でもやっぱり 一歩一歩です。

親としても 少しずつ。

強くならなくちゃ! と無理もせず、少しずつ 少しずつ。

 

葛藤や 涙を見せることだって、子どもの強さ 優しさを 育てます。

子ども達から学ぶことや 救われること、癒されることだって あります。

心配や不安があってもいい、それを持ったまま

一緒に育ち、世界を広げていけばいい のではないでしょうか?

 

あなたが どんな見た目で、どんな特徴があろうと、

あなたの生き様、あなたのは 家族、友人、職場、コミュニティの仲間へ……

きっと届きます。

 

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