髪のないの母を隠したかった 長女の成長
長女の旅立ち
18歳になった長女は、この春から 県外の短大に入学。
一人暮らしもスタートしました。
「娘さんがいなくなって 寂しいでしょ?」何人かに そう聞かれたけど、
「いやぁ~、全然」と答える私。
正直「やれやれ … 」というか、無事 巣立って「ホッとした … 」というか。
家には まだ2人の女子がいるし、
料理、洗い物、洗濯物、お風呂の待ち時間 …
色々なものが 1人分減ったことで、
私も かなり楽になったのというのが本音。
そして「あの子なら、大丈夫 」そう信じられる 自分がいる。
この18年で、私に出来ることはやってきた。
家事も 小さい頃から 一緒にやってきたし、
そこそこ、自分で生活する力は ついているはず。
天然で おかしな 言い間違いもするけど、
そこがまた可愛く 周りを和ませてくれる。
(成長記録としても残したいので、親バカはお許しください)
それに 娘は、
保育園や 学校の先生方、書道の先生、陸上クラブのコーチ達、地域の方々 …
数えきれない程 沢山の、様々なキャラの人達にも 育ててもらった。
そして、いつもいつも いい 仲間 たちに囲まれていた。
旅立ちの日が 近づく頃は、
学校の先生、書道や陸上の先生、バイト先の店長やスタッフへ、
気持ち程の 贈り物を買いに、
私も何度 無印良品のお店に 連れて行ったことか … 笑
娘は、その贈り物に 必ず お礼の手紙 や
小さな メッセージカードを 添えていました。
今の自分がいるのは 沢山の方のおかげだと、
長女自身 しっかりと噛みしめていたようです。
それをちゃんと 言葉 にして 相手に届ける子に 成長してくれたこと、
私も本当に 嬉しく感じました。
どんな時も、どんな相手にも 感謝 出来る人になってほしい。
それが、一番の願いだったから。
これからは、自分の足で 自分の人生を歩む 準備をしてほしい。
私達 家族に足りなかったところは、また 世間の皆様に 育てて頂こう。
ありがとうの手紙
県外への引っ越しは、4泊5日。
出発の前日は みんな仕事や学校を終え、バタバタと準備をし、
夜10時頃にはそれぞれの部屋へ。
私は12時過ぎまで 最後の洗濯物を干したりと 準備に追われていた。
出発は 夜中の2時。
そろそろ出発 の時間 … 目をこすりながら 家族が集合。
すると、長女が、私と夫あての 手紙 を渡してきた。
ほんの 4 時間前、自分の部屋に戻ってから 書いたのだという。
2人の妹にも、それぞれに手紙を渡していた。
こんな 出発間際 に ……
他の方々に手紙を渡している 娘を見て、
「 私たちにもあるかなぁ?」と、少ーしは 思ったけど、
その後は、お互いにバタバタだったため、期待する暇もなかった。
だから私は驚きながらも、素直に
「ありがとう~」「嬉しい~」と 喜んだ。
そして、手紙は 引っ越しが終わり 帰ってから、ゆっくり読むことにし、
家族5人、車に乗るだけの 荷物を押し込み、引っ越し先へ向かった。
長女の葛藤と成長
結婚して5年、私が30歳の時、長女は生まれた。
マッチ棒みたいな細い指をして、「ふぇふぇ~…」と弱々しく泣く 赤ちゃんだった。
小学校の高学年からは、陸上に夢中になり、
リレーメンバーとして、全国大会にも出場した。
高校の部活では 真夏の暑さの中 吐くような練習。
自転車での移動中、何度 自転車のタイヤがパンクしたことか。
雨雪の降る中、グランドを走り
パンツもシューズもびしょ濡れで 凍えていたこともあった。
あんなに小さかった 長女の心と体は 本当に 逞しく なりました。
朝練に行く途中、倒れている人を見つけた長女は、
一度は通り過ぎるも 戻って 救急車を呼ぶことが 出来ました。
優しく、行動できる子に 成長した娘。
自分の子育ても労えたような 出来事でした。
卒業の数ヶ月前、外食に出かけた娘を 迎えに行った時のこと。
これまでだったら、友だちと別れてから 車に乗ってくる長女だったが、
その時は初めて 車までお友達と一緒に歩いて来て、私に 紹介 してくれました。
娘の 今までと違った行動に、私は少し驚きながらも 嬉しさを感じました。
その数日後、
娘が友達と話す 電話 の声を 少し聞いてしまった。
どうも、私の話をしているようだ。
「やっぱり小学校の時とかは、お母さんのこと 色々言われるから 恥かしかったよ。」
・・・
・・・
その後 お友達は 私のインスタもフォローしてくれて、
DMで「○○ちゃんも、○○ちゃんのママも 大好き💖」というメッセージをくれました。
高校の卒業式。
「記念品贈呈」
娘がステージ上を 颯爽と歩く姿と 明るい声に、
私の心にも 晴れやかさが 広がりました。
式後は 会場前のいたるところで、記念撮影。
私も最後だと思い、
「ここで 一緒に 撮ろうよ!」と娘に声をかけました。
目の前では、順番待ちをしている
サッカー部の生徒なども わんさか見ています。
一緒に撮らなかったら、私と親子だということを
多くの生徒に 知られないまま 卒業できる。
「もういいから、家で撮ろう」 長女は、そんな風にも言えたはず。
でも、長女は 躊躇することなく 私と一緒に立ち、
お友達が しっかりと写真を撮ってくれました。
光と影
私のことを、ずっと 自慢気に思ってくれている 次女や3女とは違って、
長女は、もっと長く リアルに 世間の 視線や言葉を 私と共に 浴びてきた。
3姉妹の娘たちとのことは、是非 こちらの記事も 読んでみてくださいね。
「髪のない母を 子どもはどう思う?」➤ https://miono11.com/kaminonai-haha/
ほんの少しだけ 胸がキュッとなる自分に 問いかけてみた。
「私は、娘に申し訳ないと思ったりしてるの?」
・・・・・・ いやぁ、やっぱり 思わない。
私が 髪のある普通のお母さんだったら、
あなたが生まれてくることは なかった。
会えていなかったのだから。
長女は 辛い言葉以外にも、
「○○ちゃんのお母さん、素敵だね!」「きれいだね!」
そんな言葉も浴びてきた。
光 と 影、両方の道を 共に歩んできた。
色々な特徴の人がいて、色々な人生がある。
突然 思いもよらない試練が 訪れたとしても、
母のような生き方がある。
母の周りには、当たり前に 楽しく暮らす 家族がいて、
温かい 仲間がいて、
まだまだ ご機嫌に 夢を叶えようとしている母。
娘の目には、きっとそう写っているはず。
光と影は セット。
影 が 大きければ 大きいほど、光も大きい。
私はそれを 一番近くで 伝えてこれた気がする。
「今の幸せがあるのは、あの髪のないお母さんの娘だったから。」
「 生まれてきてよかった。」
娘にも いつかそう 感じてもらえたら、最高に嬉しいな。
・
・
そうそう、
引っ越しを無事に終え、家に帰り
娘からの手紙をゆっくり開くと …、
「これまで育ててくれて ありがとう」
「私の夢を応援してくれて ありがとう」
・・・
中には、12 個の「ありがとう」が 綴られていた。
こんなに た~くさんの「ありがとう」を、ありがとう。
家では、ゴロゴロ だらだらしたり、
イライラしたり、とぼけたり ・・・
いっつも 「 いいお母さん」 ってわけではなかったけどね。
こんな私を母として選び、一緒に生きてくれて ありがとう!
さぁ、うーんと 楽しんで おいで。
沢山の人と出会い、沢山の経験をしておいで。
「 あなたなら 大丈夫! 何があっても 何とかなる!」
生きているだけで 100点 満点。
みんな 幸せ になるために 生まれてきたのだから。
追記:
長女が県外に旅立ってから、もうすぐ1年。
19歳の誕生日 0:03。
長女からラインが届いていた。
「母さん、産んでくれてありがとう」
私は幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「大きく優しく成長してくれて、本当にありがとう」