Just another WordPress site

脱毛症の子をもつ親

WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -
12歳ですべての髪をなくしました。脱毛症です。今は「髪のない私にありがとう!」とご機嫌に暮らしています。多様性が当たり前になる社会に向けて活動中。 ■好き:おにぎり、風、星空、家族 ■モットー:自分を生きる、自分を楽しむ♪ ■著書「ここからの一歩」~母さん、髪がなくても大好きだよ~

親の思いは……

「わが子の髪を、何とかして生やしたい。代われるものなら代わってやりたい。」

そんな風に 子どもさんと一緒に心を痛めている方も 多いのではないでしょうか?

 

私の両親も きっとそうだったでしょう。

よいと聞いた病院には連れて行き、

生えると話題になった育毛剤を、海外から取り寄せたり。

そして、目の前で泣いたり、苦しんでいるわが子に どんな言葉をかけてやればいいのか?

きっと、葛藤の連続 だったことでしょう。

 

私が学校で 男子から「かつら、引っ張ってやろうか」と言われ 恐怖に怯えた時、

母は 学校に行って 先生と話をしてくれました。

家では、誰かが訪ねて来ると「上に行っていなさい!」と、必死に 私を隠しました

私は いつも逃げるように 3階の自分の部屋まで、駆け上がっていました。

 

私が20歳を過ぎ、「かつらをとって生きたい」と言った時、

母は「真冬に パンツ一丁で 外を歩くのと同じだ」と言って 呆れていました。

父は「手や足のない人は、その部分を隠す。それは他の人が 目のやり場に困らないようにする

ための思いやり。美緒乃にも その思いやりが必要だ」と言いました。

私はその言葉に 呆然としました。

 

一番の味方だと思っていた 両親からの言葉なのかと。

きっと、強くなった私、前向きに生きようとする 私の成長を喜び、

応援してくれるのではないかと、思っていたのに……。

 

結局、私は地元を離れ、片道7時間はかかる鳥取県に 一人 旅立ちました。

母は「自分の出来る範囲でやってみなさい」と言い、

父は、私の出発前、静かに 涙を流していました。

 

今、私が思うこと。親子関係は?

昨今、インスタ等で 髪のないわが子の写真を投稿し、一緒に楽しんでおられる姿を見ると、

本当に素敵だな と感じます。

私が髪をなくしたのは、35年も前。そういった発信も、情報交換もなされない時代。

「娘がどう見られるか?」「なにか言われたら可哀そう」

娘を大事に思うが故に 隠し続けたいという 親の気持ち、認めざるを得ません。

それも 親の正直な気持ちだったと、責める気持ちもありません。

 

私のために必死だったことは、胸に焼き付いています。

親として色んな思いや 葛藤を繰り返しながらも、

今は 私が県外で 自分らしく生きることを、全て受け入れてくれている。

親もずいぶん成長したなぁ、と感じます(私が言うのもなんですが)。

 

両親からの あの言葉のおかげで、私は広い世界に 飛び立つことが出来た。

親以外の、広い価値観の中で 生きることも出来た。

お互い、離れて気づいたこともあったはず。

すべて意味のあったことだと、両親には 感謝しかありません。

 

鳥取に来て、ありのままの自分で ご機嫌に暮らせるようになってからも、

故郷を 素の頭で出かけられるようになるには 10年以上かかりました。

年に1度の里帰りでは、帽子をかぶって 出かけていました。

どこかで、中学校の同級生に会うんじゃないかという 恐れがあったからでしょう。

 

でも今は、スキンヘッドで 福井のあちこちを歩きます。

もう、素の自分で 当たり前に生きているからです。

母も、全く止めません。

元気で帰って来てくれる ただそのことだけを 喜んでくれます。

私が本を出版した時は、親戚や知人に 誇らしげに 本を持って回ってくれました。

その姿を見た時、ようやく ふ~~っと 安堵できた気がします。

 

父は13年前に他界しています。私が福井を離れてから、数年に1度は手紙をくれました。

最後には「頑張り屋さんの美緒乃を 尊敬している」と言ってくれました。

きっと今も、喜んでくれていることでしょう。

 

子どもが親に望むこと

10代の頃の私が、親に何を望んでいたのか?

その頃の私に会いに行って、聞いてみることにします。

 

家は、傷ついて帰って来た時に、傷をいやす場所であってくれればいい。

家では、気持ちをさらけ出し、いっぱい泣くことが出来る。

頑張る力がなくなった時は、休むことが出来る。

受け止めて、寄り添ってくれる人がいる。

そんな場所があるから、また頑張れる。

 

学校での自分、部活での自分、習い事での自分、友達といる自分、

すべてを話すことはできない。親であるからこそ、言えないことだってある。

親であっても、そのつらさは 同じ痛みを感じた人にしか分からないよ

自分の気持ち、自分にだって分からないときがある。

「受け入れよう」「やっぱり、つらい」を、行ったり来たりしながら 戦っている。

 

家にいても 隠れなきゃいけない? 私の居場所はどこ?

隠され続けるのは、息が苦しいよ。

本当の自分を、否定されるように感じ、みじめになる。

希望を持てなくなる。

それでも、明るい未来を思い描き、希望を持ちたい

 

お父さん、私を笑わせようとして ふざけたみたいだけど、クスリとも笑わず ごめんね。

本当に 笑う気なんかおきないから。

でも、笑えるものなら笑いたい。笑って 楽しい雰囲気の中で、過ごしたい。

 

私が小さい頃から好きだったのは、音楽と体育。

機械体操や、陸上、いつも応援してくれて ありがとう。

かつらをかぶったままは大変だけど、夢中になることで つらさを忘れられたりもする。

共に頑張る仲間が 支えてくれる。

 

家族で カラオケに行き、一緒に歌うのは、楽しいな。

歌う時間は ご機嫌な自分にも 出会えるから。

好きなことをしたり、夢中になれる時間は 元の自分に 還れる時間でもある。

私の好きなことを知っているのは、今まで育ててくれた 親であるからこそ。

いっぱい褒めてもくれたしね。

 

家族の関係も色々だけど、当たり前の日常を 続けてくれていること、感謝してます。

「お父さん、お母さん、いっぱい ありがとう。」

 

親御さんにお伝えしたいこと

私は、脱毛症の子を持つ親ではありません。

だから、親御さんの気持ちを すべて理解することはできません。

今の私なりに感じることを、お伝えさせていただきます。

 

子どもさんが髪を失ったのは、決して、あなたたちのせいではありません。

「何とか治してやりたい!」 親にとっては当然の思いです。

だから、出来ること、やらずにはいられないこと、全てやってみられたらいいと思います。

髪がないことは、決して 恥ずかしいことでは ありません

家族だけで 抱え込まず、価値観を広げながら 親子で一歩一歩 進んでみてください。

 

親だって一人の人間。時には 一緒に悲しんだっていい。

いつもいつも 明るい太陽でなくていい。

月のように、静かにただそこにいて 照らしてくれるだけいい。

よく頑張っているね」「どんなあなたも可愛い♡」と言ってあげてください。

 

そして、色んな生き方があることを 知ってください。

髪があっても なくても、幸せになれます

温かい社会があること、親以外にも 温かく関われる人たちがいることを 信じてください。

わが子が誰かの力になったり、「生きているだけ価値のある存在」だと、誇りに思ってください。

 

きっとこれから、もっと多様性が 当たり前になる時代が 来るはず。

子どもが一歩踏みだそうとした時は、本人の生き方を 応援してください。

本人の の気持ちに 寄り添い、

誰に何を言われようとも、親御さんだけは一番の味方でいてください。

 

最後まで子どもさんと生きていくのは 子ども自身です。

子どもが「ありのままの自分が好き」「自分は大切な存在」と思える。

自分らしさを大切に、楽しんで生きることが、一番。

少しずつでいい。出来る場所、出来るタイミングで。

 

親御さんの愛情によって しっかり根付いた心と体は、

自然と 伸びる方へ 伸びていくのです。

子どもさんが どこにいたとしても、大らかに見守り、信じてあげてください。

 

そして、たまには一緒に どこか広い自然の中に出かけ、

風の心地よさ生きている喜びを 共に感じてくださいね。

 

この記事を書いている人 - WRITER -
12歳ですべての髪をなくしました。脱毛症です。今は「髪のない私にありがとう!」とご機嫌に暮らしています。多様性が当たり前になる社会に向けて活動中。 ■好き:おにぎり、風、星空、家族 ■モットー:自分を生きる、自分を楽しむ♪ ■著書「ここからの一歩」~母さん、髪がなくても大好きだよ~
スポンサーリンク




スポンサーリンク




- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© 美緒乃のブログ , 2021 All Rights Reserved.